里と森、人とクマ──その境界線があいまいになりつつある今、私たちは拡大するクマの被害とどう向き合うべきだろうか。
特に日本ではここ数年、山林や里山から人里へのクマの出没が増えている。かつては山林深くに留まることが多かった ツキノワグマ や ヒグマ が、住民が生活する集落の近く、果ては住宅地や登山道・観光地といった「人の生活圏」にまで侵入しつつあり、農作物の被害、学校や公園近くでの目撃、そして時には人命に関わる事故にまで発展している。
住民の不安が高まるなか、「なぜクマ被害が増えているのか」「私たちはどう備えるべきか」が大きな関心事となっている。
なぜクマ被害が増えた?
クマ被害が近年拡大している背景には複数の要因が重なっている。
クマ個体数・分布域の拡大
北海道のヒグマは1991年時点の推定個体数が約5,500頭だったが、2023年末には1万1,661頭に達し、約2倍になったという報告がある。
一方、岩手県のツキノワグマも2016年度時点で推定個体数が約3,400頭だったが、2020年度末には約3,700頭と推定され、年間平均で約2%ずつ増加というデータがある。
このようにクマの数が増え、「分布域」も人里・山林境界部へ拡大しているとされる。
生息・エサ環境の変化
昔からクマは、ドングリやブナの実など多くの餌を蓄える期間があり、これらが豊富な時期には人里への出没も少ないと言われてきた。ところが、近年は木の実の「豊凶」が不安定になっており、ドングリ・ブナの実の大凶作がクマを人里に追いやる一因と考えられている。
少子高齢化・地方の過疎化にともない、放棄された田畑や手入れの行き届かない里山が増え、クマにとって好ましい環境(隠れる場所・人のいない時間帯)が確保されやすくなっている。
さらに、今年(2025年)においては、猛暑・異常気象がクマの活動パターンを変えており、「餌を求めて昼夜を問わず人里に降りる」「冬眠を遅らせる、またはしない」傾向が指摘されている。
人とクマの空間の接近
集落・住宅地・観光地など人が活動する場所と、クマが生息してきた山林・里山の境界が薄れてきており、クマの生活圏に人が侵入し、逆に人の生活圏にクマが進出する状況が増えている。
その結果、「クマに人が遭う」「クマが人の住む家・倉庫・畑に入る」ケースが従来以上に増えており、学習したクマは人の近くでも“成功体験”を重ねてしまう。
以上が、被害拡大を促している主な原因だ。
クマ被害のいま
それでは、実際にどのような被害・状況が現れているのか、住民生活にどのような影響を及ぼしているのかを見ていくことにする。
被害件数・傾向
環境省の統計によると、令和5年度(1月末まで)でクマ類による人身被害の発生件数(人数)は218人、うち死亡6人という記録が出ている。
2023年度においては、4月から12月までのツキノワグマの出没件数が2009年以降で最多となったという報告がある。
2025年4月だけで人身被害が11名と、直近5年間の同時期平均を大きく上回ったというデータもある。
被害地点・住民生活への影響
住宅地近くの畑や住宅の敷地内でクマに襲われるという事例がある。
倉庫やその周辺でコメを保管していた場所にクマが侵入し、保冷庫の扉を突き破って中のコメを食い散らかしたという報告もある。
人が日常的に使う道路・公園・登山道でも目撃が相次ぎ、「子どもを連れて散歩できない」「夜の外出を控える」「イベント中止」という動きが出ている。
畑・果樹園・農作業を行う地域では、クマ被害によって収穫が減ったり不安が増えたりしている。
山林・里山を背景とする集落では、夜間の移動・子どもの登下校・散歩といった日常の安全・安心が揺らいでいる。
観光地・登山道では「クマ出没の可能性」がレジャーを抑制する要因となっており、地域振興・観光にもマイナスの影響が出ている。
住民が「クマが来るかもしれない」という前提で行動せねばならず、心理的なストレス・収穫・営農・暮らしの制約という二重の負担を抱えるケースもある。
このように、クマ被害は「人間の普段の暮らし」に直接的・間接的に影響を与えつつある。
行政の対策、個人の対策
被害を減らすためには、国・自治体と地域住民・個人それぞれの取組が欠かせない。
行政の取組
環境省は「クマ類出没対応マニュアル(改定版)」を策定し、出没状況に応じた対応方針、人とクマのすみ分け、地域連絡体制の構築などを指針化している。
また政府は今年、「クマ被害対策施策パッケージ」を11月中旬までに取りまとめ、追加的・緊急的な対策を強化する方針を示している。
被害状況が深刻な地域では、警察官や公務員にも銃猟(駆除)を可能とする制度改正が進められている。
さらに、里山・市街地近くで「ゾーニング管理(人の生活圏・クマ生息圏を区分して管理)」の導入が進んでいる。
個人・地域住民の取組
生ごみや果物、倉庫の管理を徹底する。例えば、住宅街では生ごみを密閉袋に入れて捨てる、クマ対策済みゴミ箱を使用するなど。
農作地・果樹園などでは、クマが学習してしまうと何度も同じ場所に出没することから、電気柵を設置し、夜間でも十分な電圧が流れているかを管理する。
山林・登山・里山散策などの場面では、「音を出す」「2人以上で行動」「熊撃退スプレー携行」「クマの出没情報をチェック」などが指導されている。
また、住民への啓発活動として、クマは人がいる所にも出てくるという認識を持つことが重要。地域での「クマ出没情報」を住民に速やかに伝える体制づくりも不可欠だ。
展望──クマがいる社会で暮らす
こうした状況を踏まえて、今後クマ被害をどう抑えていくか、また私たちの暮らしはどう変わるかについて考えたい。
課題と向き合い方
クマの個体数・生息域の拡大、エサ環境の変化、人里・山林境界の接近といった構造的要因を踏まえると、単純な駆除だけでは根本解決には至らない。
これからは「共存に向けた取組」がより重要になるだろう。
実際、クマの行動特性を解明し、人との動線をどう分けるか、ゾーニングや出没予測の活用が期待されている。
テクノロジー・新しい手法の活用
AIカメラや出没予測システムなど、クマの動きを早期に把握する技術も検討されている。例えば、監視カメラによる出没警報システムなどが試行段階にあると報じられている。
また、地域住民・行政・ボランティア・研究者が連携して「人が出ない時間帯」「クマが来やすい場所」を共有し、防御的措置を強化する方向も進むだろう。
地域の暮らし・観光・農業への影響
クマ出没のリスクが高まると、農業・観光・地域振興に影響が出る可能性がある。果樹園・観光施設・登山道などでは安全確保のためのコストが増え、住民の暮らしも「クマを意識した日常」へと調整が求められる。
一方で、地域ならではのクマ対策を魅力化・情報化し、「クマと森の関係」を住民・観光客ともに理解する場に変えていく可能性もある。
住民意識の変化
これまで「山に入る人が気をつければいい」という構図だったものが、住宅地・集落・道路・観光地でもクマが出るという認識に変わっており、「自分の生活圏でも用心する」という意識が一層重要になってきている。個々人が“クマに出会ったらどうするか”を想定しておくことが、今後ますます求められるだろう。
まとめ
ここ数年で、クマ被害が「山奥だけの問題」から「人の生活圏の問題」へと変貌を遂げている。
原因としては、クマの個体数・分布域の拡大、餌不足・環境変化、さらに人里との境界の接近などが挙げられる。
現状としては、人身被害・目撃件数ともに過去最高水準にあり、住民の暮らし・農業・観光にまで影響が波及している。
対策として、行政はマニュアル整備・ゾーニング・銃猟制度見直しなどを進め、個人・地域では生ごみ管理・電気柵・登山時の備え・情報共有といった取組が求められる。
今後は、単なる駆除型の対応から、「クマとの共存を見据えた構造的対策」へと移行していく必要がある。私たち住民一人ひとりも、“クマが出るかもしれない”という前提で、日常的な備えと意識を整えていく時代になったと言えるだろう。
山林・里山・人里が織りなす環境のなかで、クマと人との“ほどよい距離”をいかに作っていくか。これは地域の暮らしを守るための重大な課題だ。
(四谷)
農林水産省:全国の野生鳥獣による農作物被害状況について(令和2年度)
鳥獣被害対策.com:クマの生態・被害の現状・対策
ダイヤモンド・ビジョナリー:「相次ぐ熊出没。危険な地域と種類。もしものときの行動とは」/2025年8月12日
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東洋経済オンライン:「偶然ではなく人を狙って襲っている?」 死者12人《クマ被害》山で起きている「残酷な現実」こんなにも被害が出てしまった”根本理由”(ジャーナリスト・伊藤辰雄)/2025年11月1日
環境省:クマ類の生息状況、被害状況等について(令和5年度)
The Guardian:Japan to trial AI bear warning system after record number of attacks/Tue 30 Apr 2024 04.38 BST
